ふるさと種子島のふれあい掲示板
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ご教示有難うございました
投稿者:
還暦の若大将
投稿日:2009年 9月14日(月)09時31分53秒
返信・引用
管理人さん、ご教示有難うございました。
デジカメ撮影の件、試してみたいと思います。
私の父はご承知の様に、西之表市現和西俣の出身で、終戦後名古屋の母と結婚し、名古屋で母の家が戦前から商っていた商売を引き継ぐ形でやっていました。
私が小学生〜高校生ぐらいの時に、日本の高度経済成長時代に合わせ、種子島からもわずかずつですが、金の卵と呼ばれる若い方たちが、名古屋にも来る様になりました。
当時父は鹿児島県人会の役員をしていましたが、種子島出身者達の就職の世話を幾つかした関係で、名古屋在住の種子島出身の若い人たちのサークルとして、名種子会と言うのを組織しました。どちらかと言うと商売はそっちのけで、時によっては、種子高や実高の校長先生と一緒に就職先を探して名古屋市内や愛知県下を駆け回っていたようです。
そんな関係で、私の家には、休みの日になると、お兄さんやお姉さんたちが寄り添い、遊びに来るようになりました。
当時は、労働条件も良くなく、色々な悩みを皆さん抱えていた事でしょうし、又、我が家に来れば、種子島の懐かしい方言なども聞き、話す事が出来たからだと思います。
父も母も若い人たちの悩みや相談に乗ってあげた事でしょう。私は、小さかったせいか、皆さんが可愛がってくれるのを単純に喜んで居ただけですけど・・。
そんな事もあり、初めて種子島に行って以来、海が好きになり、高校から大学を卒業するまでの毎夏休み、種子島で過ごしていました。
正に青春の大部分を種子島の海が占めていたと言えます。
そういうポジションにいた人間なので、学生時代の種子島の思い出は、もしかすると、種子島で過ごした方たちより思い入れが強いかもしれません。
又、投稿させていただくかもしれませんが、お付き合いいただければ幸甚でございます。
(管理人) 還暦の若大将さん、こんにちは。
お世話になっています。
学生時代の種子島の思い出、海が全てだったのですね。
その頃と現在では、風景も少し変化があるかもしれませんね。
投稿ありがとうございます。
しかし画像が・・。
投稿者:
還暦の若大将
投稿日:2009年 9月13日(日)09時30分36秒
返信・引用
管理人さんご提案有難うございました。
そうですね。個人の思い出話を掲示板に延々とつづるのもルール違反かも知れません。
折があったら読者のページに移行したいと思います。
しかし、今から47年〜40年前ぐらいの話になってしまいますので、画像が有りませんが・・。
古いアルバムには、多少写真が残っていますが、当時はカメラも中学生や高校生が普通に持てるものでもなく、枚数が少ないですし・・。
古いアルバムを見ると、モノクロですが、田之脇や庄司浦の海岸、本当に初期のロケットセンターなどが写っているのですが・・。
文章だけになってしまうと思います。スキャナーでも手に入れたら画像も可能ですが・・。
(管理人) 還暦の若大将さん、こんにちは。
お世話になっています。
普通のデジカメがあれば、写真を真上から写せば綺麗に撮れますよ。
ホームページでは、紙芝居「波」を紹介していますが、
あれは、紙芝居を真上からデジカメで写したものです。
だから、スキャナーは必要ありません。
普通のデジカメで充分ですよ。
青春が一杯詰まってました
投稿者:
還暦の若大将
投稿日:2009年 9月12日(土)10時30分14秒
返信・引用
種子島出身者じゃないものが種子島の古い話を書くのはルール違反とお叱りを受けそうですが、管理人さんに励まされ、今日はその第三回目。
中学一年(昭和36年)、初めて種子島へ行った時は、父の兄に当る人の子(従兄弟の女性)が、名古屋に就職して来ていたので、その人の帰省に合わせて連れて行ってもらいました。
当時は、飛行機も新幹線も無く、名古屋駅から、夜行急行列車(列車名は「霧島」だったかな?)に乗り、途中福岡の従兄弟が下宿している家で1〜2泊し、改めて、福岡から西鹿児島行きの列車に乗りました。長旅だったですね。
列車が朝西鹿児島駅に着くと、それから種子島行きの旅客船が出ている桟橋に歩いてゆき、朝の船に乗りました。本格的な旅客船に乗るのは勿論初めてで、黒と白の二色に塗り分けられた船を見て気持ちが高ぶりました。当時の記憶で、其の船の名前は「橘丸」と信じ込んでいましたが、ネットなどで調べると、当時、そういう名前の船は、種子・屋久航路には就航していなかったようです。このあたり、どなたかご存知の方が居られたら教えて下さい。
ところが、私には頼もしくて大きく見えた其の船が、途中から、猛烈に揺れだしました。デッキから見ていると、船の右舷側から、船の高さより大きな波が盛り上がったかと思うと、船があっという間に波の頂に持ち上げられ、次には波の谷間に滑り落ちていくのです。波が船にドーンと当たり、しぶきと言うか、波そのものを浴びて、中甲板に乗せられていた、牛や豚たちが「ぶーぶー・びーびー」と啼き叫ぶのです。
大揺れに揺れる船、泣き叫ぶ家畜達、そんな状態がどのくらい続いたでしょう、揺れが急に静かになり、船は無事に西之表港の岸壁に接岸したのでした。船の接岸を待って、一斉に人や車の動きが活発になり、豚や牛たちや、積まれていた荷物がどんどん降ろされてゆき、そうした光景を横目で見ながら、私たちも、種子島に一歩を記したのです。其の第一歩は、地面が揺れているように感じました。
其の後、一週間ぐらい船は出なかったと聞きます。台風の影響だったようです。
それからどうしたか記憶がないのですが、多分、バスに揺られて西俣へ辿り着いたのでしょう。
到着したそこは、失礼な表現かもしれませんが、名古屋っ子から見ると本当に田舎でした。
どの家も木々に囲まれて奥まった所に有り、平屋の大きな農家で、広い庭には馬小屋が有り、牛も飼われていて、つるべ井戸も有りました。
西俣の家は父の実家でしたが、当時は私の従兄弟が家長で、従兄弟ご夫婦と子供さんが3人、そして父の実兄のお母さんが同居されていました。
見るもの全てが珍しいものばかりで、大きなクモが家の中の壁に張り付いていたり、黒光りした柱や天井の梁がむき出しになったところもあり、其の家の歴史を感じました。
そこには仔牛も二頭ほどいて、時々庭に出て走り回るので、体当たりを受けると大変なので、逃げ回っていましたね。
近くに西俣公民館が有り、子供たち(本当に大勢居ました)が遊んでいました。小さな川が流れていて、そこで水浴びをした記憶が有ります。なんだか、馬やら牛も一緒に水浴びしていた様な気がします。
夜は本当に真っ暗で、どこが道なのか分からず、手探りみたいな感じで歩いたりしましたが、月明かりや星の明かりで、何とか方向が分かるかなと言った感じでした。
まだ、耕運機も普及してなかった時代で、田んぼには馬車で行くのです。馬車に乗っていると、前方の馬の背中が大きく左右に揺れ、小さな坂道では、一生懸命に馬車を引いているのが良く分かりました。馬の顔も勿論間近で見るのは初めてで、大きな目と、長い鼻面で、私にも何か訴えかけてくるようで、つい、鼻面をなでてやったりしました。大きな鼻の穴がプルプル震え、口を開けると大きな歯並びが見えました。何時も口をもぐもぐと動かしていましたね。
ある日、西俣以外の親戚の家にも挨拶にと言う話になり、田之脇と庄司浦に向う事になり、従兄弟の女性と一緒に西俣を出発しましたが、彼女は普通の道を行かず、刈り取りの終わった田んぼをどんどん歩いていくのです。当時流行った小林明の「自動車ショー歌」かなんかを大声で歌いながら行きました。バスは一日三本ぐらいしかなく、手っ取り早く?行くには歩くのが一番だったんでしょうね。
以下、次回。
(管理人) 還暦の若大将さん、こんにちは。
お世話になっています。
懐かしい思い出素敵ですね。
「私の青春の思い出」として、「読者のページ」がありますので、写真を添付してメールで送ったらいかがですか。
大変な力作ですよ。
よろしくね。
お知らせ...
投稿者:
火縄銃
投稿日:2009年 9月 5日(土)23時05分33秒
返信・引用
「ふるさと種子島」のホームページをご覧頂きありがとうございます。
管理人の火縄銃です。
現在、西之表港待合所の建設工事が始まっています。
その工事現場の、トッピー乗り場付近とフェリープリンセスわかさ乗り場付近に、
ふるさと種子島の撮影した写真10枚が掲示されています。
風景写真や郷土芸能の写真、西之表市の保護植物の写真などです。
もちろん、ホームページで紹介しているものです。
大きな写真ですので、西之表港へ行きましたら、ぜひ、ご覧になってください。
観光用に写真を提供したものです。
みなさまのアクセスよろしくお願いいたします。
青春が一杯詰まってました
投稿者:
還暦の若大将
投稿日:2009年 9月 5日(土)09時12分49秒
返信・引用
管理人さんお返事有難う。
西俣は山?の中でしたね。管理人さんが言っておられるような、伝統芸能と言うのは、私の種子島に行っていたタイムスケジュールとは合わなかった性か、見分した事が有りません。
西之表のお祭りと言えば、夏に祇園祭と言ったのをやっていた気がします。女の子(娘?)たちの顔にスミを塗りつけていたような気がするのですが・・・。
中学一年(昭和36年)に行った時の西俣は、夜8:00頃になると電気が来なくなり、ランプを灯していました。お風呂は庭にあり、五右衛門風呂を石組みの上に乗せたもので、囲いも何も無く入るのに少し恥ずかしかった(誰も見ていないのに)気がします。それでも、上を見上げると星屑の中に夜空があると思うぐらい満天の星空で、流れ星が行く筋も流れていました。
トイレは馬小屋の直ぐ横にあり、隙間から馬が鼻づらを突き出したり、ハチが巣を作っていたり、クモが巣を張っていたりと、大変な場所でした。
又、追々思い出を書いていきますね。お暇でしたらお付き合い下さい。
(管理人) 還暦の若大将さん、こんにちは。
昔の思い出、めいいっぱい書き込んで構いせんよ。
ホームページをご覧になっている方も懐かしく思い出されることでしょう。
還暦の若大将さんの中学一年の頃は、現在の九州電力から電気が供給されています。
その一年前に、大川田水力発電所で、火災が発生し、電気の供給がストップしていました。
またそのころは、子供の数もピークに達していた時期です。
賑やかだったと思います。
思い出楽しみにしています。
時刻表の更新中...
投稿者:
火縄銃
投稿日:2009年 9月 2日(水)23時09分2秒
返信・引用
「ふるさと種子島」のホームページをご覧頂きありがとうございます。
管理人の火縄銃です。
現在、ホームページでは、バスの時刻表を更新中です。
これには、少々日数がかかります。
みなさまのアクセスよろしくお願いいたします。
青春が一杯詰まってました
投稿者:
還暦の若大将
投稿日:2009年 9月 2日(水)10時12分35秒
返信・引用
初めて投稿します。
私は名古屋生まれ名古屋育ちで、種子島では住んだ事は有りません。
ただ、父が西之表現和西俣の出身で、旧制中学を出、陸軍に行き、戦後名古屋の母と結婚し私達子供をもうけました。
そんな関係もあり、種子島に行ったのは中学一年生の時が始めてでしたが、其の時、現和庄司浦の海が素晴らしく印象に残りました。
高校生の時、再度種子島を訪れ、庄司浦と同じく現和の田ノ脇の海も遊び場になり、それ以降、大学を卒業するまで、毎夏休みには、必ず行くようになりました。
高校の時、投稿者名の元になった、若大将映画に影響を受け、海=種子島となり、大学の部活もヨット部を選び、公私?共に海三昧の生活に浸りきりになりました。
あの頃は、庄司浦も田ノ脇も子供が大勢居て、部落水泳の監視人を引き受けたり、彼らと浜でソフトボールをやったりと高校生・大学生らしくない遊びっぷりに、皆私に本当に懐いてくれました。海辺では何時も加山雄三の歌を大声でがなっていましたね。
海は本当に透き通っていて綺麗でした。毎日朝から夕方まで潜ってばかりいて、真っ黒に日焼けして、父の実家の家人から「クロンボ人のごたい」と笑われました。
其のとき、田ノ脇でお世話になった人のお嬢さんが、今、私と同じ姓になっています。
あの頃の私は、自分で言うのも変ですが、種子島の自然の様に、天真爛漫で輝いていたように思います。
暫く種子島にも行けていませんが、還暦も過ぎた今、家内と近いうちに再訪したいねと話をしています。
管理人様の楽しい話題を楽しみにしています。
(管理人) 還暦の若大将さん、こんにちは。
はじめまして。
お父さんが、種子島西俣の出身なんですね。
特に現和は、郷土芸能の宝庫です。
その中で、西俣のヤートセーは種子島でも踊りは一級品です。
再び種子島へ来る日が楽しみですね。
思い出がいっぱい詰まっていて。
今後ともよろしくお願いいたします。
書き込みありがとうございます。
鉄砲まつり
投稿者:
あんなぁーよー
投稿日:2009年 9月 1日(火)21時21分20秒
返信・引用
管理人さん、おひさしぶりです。
80過ぎの老母から「鉄砲祭りを見に来んか?」との誘いのままに、22日から24日まで
帰省しておりました。父親の突然の体調不良で、午前中の太鼓山と夜の花火を見ただけでし
たが、太鼓の音を聞いていると、子どもの頃のチョッサーが思い出されて、感慨深く、種子
島の夏っていいなぁ、と改めて感じ入った次第です。
でも、子供の数が少なくなりましたねぇ。子供みこしの行列をみていて、ふと寂しく思いま
した。島の近況を知るにはこのホームページがとてもいいなと思っております。楽しみにし
ています。末永く頑張ってください。
(管理人) あんなぁーよーさん、こんにちは。
お久しぶりですね。
せっかく鉄砲祭りにいらっしていたのにお父さんの体調不良大変でしたね。
残念ながら、私は花火を見ていません。
ちょうど、演芸大会の最後の頃、お知り合いの方からお誘いがあり残念でした。
また来年期待しましょう。
今後ともよろしくお願いいたします。
いつもありがとうございます。
修正しています...
投稿者:
火縄銃
投稿日:2009年 8月28日(金)17時05分45秒
返信・引用
「ふるさと種子島」のホームページをご覧頂きありがとうございます。
管理人の火縄銃です。
種子島の郷土芸能で、西之表市国上湊地域の「網引き狂言」を紹介していますが、
阿波田親子の名前が入れ違っていました。
本日、湊地域に出向き、ビデオで確認させていただきました。
現在、正常な物語になっています。
これまで長期間にわたり、間違った情報になっていましたことをお詫び申し上げます。
種子島商工親善大使である上原美優さん
投稿者:
火縄銃
投稿日:2009年 8月24日(月)23時43分0秒
返信・引用
「ふるさと種子島」のホームページをご覧頂きありがとうございます。
管理人の火縄銃です。
8月22〜23日は、種子島鉄砲まつり関係のイベントがありました。
第1回外国人による国際結婚スピーチコンテスト、鉄砲まつり前夜祭、種子島鉄砲まつりを撮影していますので、随時掲載していきます。
また、今回の祭りには、種子島商工親善大使である上原美優さんが来島していました。
ホテルニュー種子島でのサイン会、南蛮パレード、演芸大会での上原美優さんを撮影しています。
こちらも紹介していきますので、アクセスよろしくお願いいたします。
以上は、新着順21番目から30番目までの記事です。
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